盆踊りには行かれましたか?
盆踊りは、仏教や神教の影響を受け、一遍上人の踊り念仏などにより世俗的な風習へと変わっていったと言われ、全国各地で死者を供養するための行事として定着していきました。
明治には、風俗を乱すとして禁止されていたこともあります。神仏分離政策や、近代化政策の影響という見方もあるようですが、市民が結束して一揆へと発展してしまうことを恐れたという見解もあるようです。
そんな日本の歴史が垣間見える盆踊り唄をまとめてみました。
炭坑節
「月が出た出た 月が出た」で始まる曲ですね。福岡県の炭鉱労働者によって謡われていた曲が元だといわれています。この曲は、七五調という形式でできていて、和歌のように音節が7、5の繰り返しになっています。
明治以降に七五調の曲が多く作られているのですが、それらは1905年ごろに大ヒット曲「ラッパ節」の派生と言われています。演歌師、添田唖蝉坊。歌詞は様々なものがあり、当時の日常をユーモラスに描いたものや、軍歌もあります。
その一方で、添田唖蝉坊は社会主義者の幸徳秋水と交流があり、日本社会党の評議員でもありました。「社会党ラッパ節」という社会主義を謳う歌詞も書いています。
演歌は演説歌の略で、もともとは明治時代の自由民権運動で政府の批判を歌に込めたものでした。最初の演歌といわれている「ダイナマイト節」は、自由民権が与えられないのならダイナマイトでのテロも辞さないという歌詞です。
それが時代によって、男女の恋愛や労働歌として変化していきました。
東京音頭
1932年に制作され、日比谷公園の盆踊り大会で披露されました。戦後になると、GHQの検閲によって2番、5番、8番の歌詞が削除対象とされました。各所で抗議の声もあがり、検閲を無視して原曲のまま歌い続けられていたことも多かったようですが、現在では、まず聞くことはありません。問題視された歌詞は以下の箇所です。
君が御稜威は天照す
君と臣との千歳の契り 結ぶ都の二重橋
花になるなら九段の桜 大和心のいろに咲く
「東京音頭」より抜粋
御稜威とは、天皇の権威のことです。君とは天皇のことですから、天皇の権威は天を照らす、という歌詞です。天照大神ともかけていますね。
君と臣との千歳の契りとは、天皇と国民の主従関係は永遠だという意味で、君が代を指しています。君が代もGHQによって斉唱を禁止されていました。
二重橋とは、皇居正門から皇居宮殿の長和殿へと向かう際に渡る橋です。東京メトロ千代田線に「二重橋前駅」という駅がありますが、実際は駅から少し離れたところにあり、有楽町線の「桜田門駅」がより近くにあります。
九段の桜とは靖国神社のことです。靖国神社は現在の九段北、かつての町名は九段に所在していて、桜の木が植えられています。
三大盆踊り
ちなみに、2021年の東京オリンピックの閉会式では、北海道のアイヌの古式舞踊、秋田の西馬音内の盆踊り、岐阜の郡上踊り、沖縄の琉球エイサーが映像で紹介され、会場では東京音頭が披露されました。
この選出には疑問が残ります。
日本各地にある踊りは「風流踊」として、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。その中にも盆踊りも含まれていて、この中では東京音頭と琉球エイサーは登録されていませんでしたが、披露されました。
東京音頭は東京を代表する盆踊り唄なのでわかるとして、なぜ琉球エイサーが選ばれたのか基準はよくわかりません。
また、徳島の阿波踊りはなぜないのだろうと思われた方もいらっしゃるかと思います。誰が呼んだか、西馬音内の盆踊り、郡上踊りと併せて日本三大盆踊りとされていますし、「踊る阿呆に見る阿呆」という掛け声も知名度は抜群でしょう。
しかし、実は無形文化登録遺産には指定されていません。そもそも、国内の文化財にすら指定されていないのです。読売新聞によると、徳島県文化資源活用課は「踊りの変遷をたどることができず、定義付けが難しいのが文化財に指定されない理由ではないか」と推測しているそうです。