銃弾を受けたアメリカ大統領たち(後編)

今回は後編です。前編はこちらからご覧ください。

セオドア・ルーズベルト(第26代大統領)

ラシュモア山の彫刻の右から2人目がセオドア・ルーズベルトです。歴代大統領にルーズベルト姓は2人います。

愛称がテディで、テディベアの語源はセオドア・ルーズベルトです。狩猟が趣味で、同行した猟師が子熊を撃ち、とどめを大統領に刺すようお膳立てをしたところ、「瀕死の動物を撃つのは狩猟の精神に反する」と断わったのだそうです。そのニュースを見たおもちゃ屋が、テディが逃がした熊をぬいぐるみにして、テディベアを販売したのです。

セオドア・ルーズベルトが銃撃されたのは大統領の任期を終えた後のことでした。

1912年。ウィスコンシン州ミルウォーキーで大統領選の選挙運動中、ホテルから出て演説に向かうために車に乗り込むところを、ジョン・シュランに銃撃されました。銃弾は金属製の眼鏡ケースと50枚の演説原稿を貫通し胸に直撃しました。しかし、猟師であり解剖学者でもあったセオドア・ルーズベルトは、吐血していないことから肺にまで達していないと悟り、そのまま演説を行いました。

トランプ前大統領が、右耳を撃たれながらも、手を掲げて聴衆を鼓舞したのも、この勇敢なエピソードが頭の片隅にあったからかもしれません。

体内に銃弾を取り除くことは危険と判断され、生涯、銃弾と共に過ごしました。

一方、シュランは「マッキンリーの幽霊がセオドア・ルーズベルトを殺すように告げた」と語り、精神異常者と判断され、無罪判決を受けて病院で残りの生涯を過ごしました。

ラシュモア山の彫刻 右から2番目がセオドア・ルーズベルト
フランクリン・ルーズベルト(第32代大統領)

その名前から、ベンジャミン・フランクリンや、セオドア・ルーズベルトと混同されてしまう方もいらっしゃるかもしれません。ベンジャミン・フランクリンは100ドル紙幣の肖像画の人物ですが、大統領経験はありません。

アメリカ大統領で唯一重度の障害を持っており、両足が不自由でいつも車いすに乗っていました。しかし、当時はテレビがないので、国民のほとんどは知らなかったといいます。

また史上唯一、4期大統領を務めた人物で、在任日数4422日は最長です。現在では憲法が改正され、最長でも2期しか務められません。

1933年。大統領選で勝利したフランクリン・ルーズベルトは、17日後に大統領就任式を控えマイアミのベイフロントパークで演説をしていたところ、聴衆の中にいたジュゼッペ・ザンガラに銃撃されました。

ザンガラは身長が150cmと小柄で、折りたたみ椅子の上に立って発砲しようとしましたが、近くにいた女性がハンドバッグで殴ったことで狙いは外れました。しかし、流れ弾が近くにいたシカゴ市長に当たり死亡し、4人がけがを負いました。

ザンガラはイタリア生まれで、イタリア王国陸軍に従軍していた経験があることから、本当は最初からシカゴ市長を暗殺するつもりだったという説もあるようで、さまざまな陰謀論がささやかれています。真相はどうであれ、ザンガラは有罪判決を受けて電気椅子で処刑されました。

フィリップ・K・ディックのSF小説『高い城の男』は、このフランクリン・ルーズベルト暗殺が成功したことがきっかけで、枢軸国が第二次世界大戦に勝利したという設定になっています。最近、Amazonでドラマ化されました。

逮捕されたザンガラ(中央) なぜか使用した銃と写真を撮られている
ジョン・F・ケネディ(第35代大統領)

ご存じない方はいらっしゃらないでしょう。初の20世紀生まれの大統領でした。

1963年。遊説のために訪れたテキサス州ダラスで、空港からリムジンに乗ってパレードをしていたところを狙撃され息を引きとりました。

近くにある教科書倉庫のビルの6階からライフルで撃ったとして、当時ビルにいたリー・ハーヴェイ・オズワルドが逮捕されました。しかし、弾丸の軌道や証言に矛盾が多くあるうえ、逮捕されたオズワルドは否認をしていたところ、移送中にジャック・ルビーに殺害されたため、疑問視する意見が根強くあります。

なんと、オズワルドが殺害される様子はテレビで中継されていました。

現在では、オズワルドが射撃したとされるビルはシックスフロア博物館になっており、事件の資料が展示されています。

また、ケネディが撃たれた位置を博物館から眺めるアングルにカメラが設置されており、こちらのアドレスからライブで映像を見ることができます。

ケネディ家は、悲劇的な最期を迎える方ばかりでした。兄のジョセフ・ジュニアは第二次世界大戦従軍中、墜落死し、弟のロバートも遊説中のホテルで暗殺。妹のキャスリーンやジョンの長男のJFKジュニアは飛行機事故で墜落死。妹のローズマリーは知的障害があり、治療のためにロボトミー手術を受けるも悪化し、サナトリウム施設に隔離されてしまいました。甥のデヴィッドは麻薬の過剰摂取で死亡、マイケルはスキー中に木に激突して死亡しました。

シックスフロア博物館に展示されている再現模型
(出典)The Dallas Morning News

オズワルドがルビーに射殺された瞬間 この写真はピューリツァー賞を受賞した
ロナルド・レーガン(第40代大統領)

レーガンはもともと俳優でした。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で過去にタイムスリップした主人公が未来の大統領はレーガンだと教えると、鼻で笑われるシーンが有名ですね。

現在、トランプが掲げているスローガン「Make America Great Again」(アメリカをもう一度偉大に)は、もともとレーガンが大統領選で用いたものを引用しています。

1981年。ワシントンD.C.で講演を終え、車に乗り込もうとしたところをジョン・ヒンクリーに銃撃されました。

ヒンクリーは映画「タクシードライバー」に強く影響を受け、娼婦の少女役を演じたジョディ・フォスターを追いかけていました。また、劇中の主人公は大統領候補を暗殺しようとするもためらって実行できないというシーンがあり、それが犯行のきっかけになったとされています。

最初は、ジミー・カーター大統領の暗殺を試みました。あるイベントではわずか30cmの距離まで詰め寄っていたこともあったようです。しかし、銃を不法に所持していたとして逮捕され、罰金刑を課されました。

そこで諦めることはなく、カーターを破ってあらたに大統領に就任したレーガンに標的を変えました。ヒンクリーは大統領なら誰でもよかったようです。

手術室に運ばれたレーガンは、医師たちに「みなさんが共和党員だといいのですが」とジョークを言ったそうです。手術の結果、肋骨に当たった銃弾は取りのぞかれ、1か月ほどで職務に復帰することができました。

一方、ヒンクリーは精神疾患と判断され無罪になり病院に入院していましたが、現在では釈放されています。最近ではYoutubeで自作の音楽を披露しており、アルバムも発表しています。